主人公ぶる

この前の夕方夕方、急に暇になったので帰り道余分に歩いた。一人で外に取り残されると真っ直ぐ帰りたくない衝動に駆られて、よく変に寄り道をしてしまう。衝動買いとかはしないんだけど。

前に先輩がおすすめしてたスーパー銭湯にでも寄って帰ろうかと思ったけど結局それもやめた。公式LINEを友達登録するともらえるクーポンをもらってみたけど、1000円近く払うこともないなと思った。クーポンの期限は来月末までなので、それまでには行ってみよう。銭湯の入り口の前を通ると、待ち合わせしてた若いサラリーマン2人が落ち合って入っていくところで、めちゃくちゃエロいな〜と思ってしまい、このまま行くと不純な動機すぎるのでやはり銭湯行きは中止にした。

男に性的興奮を覚える男である自分だけど、男湯に入ることができる以上は入っちゃえ!と思う。前にTwitterで「同性愛者だと言ったら温泉で興奮するのかと聞かれるけどそんなわけない、失礼」みたいなツイートを見たんだけど(TLで見た誰かの意思表示への反応として喋るのやめたい)、正直自分は興奮する。温泉にいると勃たずにいられるんだけど。最悪。

AirPodsで音楽聴きながら歩くの、危ないし耳にも良くないしあんまりやらないようにしているんだけど、どうしてもやってしまう時があって、今回も音楽聴きながら歩いた。宇多田ヒカルのプレイリストを聴いてちょっとリップシンクしながら歩くと我ながら主人公ぶってるなーと思う。「主人公ぶる」というのはパオパオチャンネルで覚えた言葉だ。年末あるあるの動画で「みんな年末は主人公ぶっちゃうよね」という下りがあった(今久々に見た!)のだが、それを見て以来「今自分主人公ぶってるなー」と思うようになってしまっている。最近は主人公ぶる日もあって良いじゃないかと思うようにしてるけど。

主人公ぶって歩いているうちに、疲れてきたので家までの残りは電車で帰ることにした。結構歩いたと思ったんだけど見返してみると5キロくらいで(Apple Watchのワークアウトで記録するのを忘れていてめちゃくちゃ悔しかった)、そんなでもないなと思った。主人公ぶって歩いてみて、久々に自分が一人なことを認識できたというか自分の存在を感じられたというか、少し落ち着いた気がしたので良かった。

途中に紫陽花が綺麗な公園があったので写真を撮った。iPhoneのナイトモードで撮ると綺麗だけど昼に撮ったのでも夜に撮ったのでもないような、中途半端に味のない写真になった。

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ミラクルひかるが背負うもの

ミラクルひかる宇多田ヒカルのモノマネをしている動画(過去のテレビ番組とか)をYouTubeでたまに見かける。

宇多田ヒカルデビューからしばらくの間のミラクルひかるのモノマネはかなり似ていて、芸としても面白い。宇多田がDSのCMで着用した胸元に穴の空いたワンピースでFirst Loveを歌唱するのがテレビ初登場、そこから「Traveling」のコスプレなど色々な形で宇多田のモノマネを続けている。ミラクル自身が宇多田の大ファンだという話も有名だが、2006年にはHEY!×3にて宇多田ヒカルとの共演を果たしている。パーティーで芸を披露するミラクルひかるの動画があったりするが、結構コアな曲(Utadaの曲とか)もやっていて面白い。ミラクルひかるが好きな宇多田ヒカルの曲は「サングラス」と「蹴っ飛ばせ!」と「This Is Love」らしい。(下の動画で語っている。これがミラクルひかるチャンネル1本目の動画なのだが、このチャンネルは1年前にガーシーを真似た動画を最後に更新が途絶えていて残念。清水ミチコのシミチコチャンネルはコンスタントに更新され続けているというのに。)

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あと、ミラクルについて特筆すべきは宇多田の喋りモノマネが上手いことで、ただ歌が似ているだけではなく誇張した喋りで笑いを取ることで、ミラクルひかる宇多田ヒカルモノマネは芸として成り立っている。

しかし、宇多田ヒカルが活動再開した2016年以降のミラクルひかるの歌唱は、もはや全く似ていない。宇多田の声もミラクルの声も変わった、のだろうし、何より細かい節回しを全く寄せることができていない。誰かミラクルひかるのボーカルディレクションをしてやってくれ、という気持ちになる。喋りはまだ踏みとどまってるけど。

このことには、ミラクルひかるファン(?)も気付いているようだ。YouTubeのコメント欄を見る限り、「ミラクルは昔は本当に似ていたが、今は全然似てない」というのは皆(誰?)が薄々感じていることなのだ。そして、彼らはスピリチュアルな分析コメントをいくつも残している。

こういうコメントに出会うと不気味になって、いつも動画を見るのをやめてしまう。結局のところ、皆ミラクルひかるに期待しすぎているということなのだろうか。最後にそういうコメントの一部をコピペしておく。

 

絶頂期の宇多田の憑依マネする絶頂期のミラクルの貴重な録画だね。ミラクル自身は音域や声量は問題無いのに、今は音域や声量が出なくなった今の宇多田に憑依してしまうから、ミラクルも高音だせないマネになっているけど。器用なのに不器用な、相反する所がミラクルらしい。

活動休止前のモノマネを長くやりすぎて今の宇多田さんの歌い方が出来てないが似ていることには変わりない

これはこれでいいけど、あんなにそっくりだった二人の分岐がいつだったのか気になる

昔の宇多田を歌う時、本人よりも近く歌える気がする。

産休あけて歌い方変えた直後でチューニングが間に合ってなかったときだな
唯一似てない

最近は癖のあるモノマネし過ぎて宇多田のマネにも影響出てるけど、似てるとこはやばいくらい似てるな特に低音は圧巻✨

YouTube・被害妄想

YouTubeで表示される広告、男性向け脱毛の広告とかが表示されて嫌だなと思ってきた。「〇〇駅に在住の男性限定!脱毛が…」と謳うやつとか、際どい制服を着た女性スタッフで釣ろうとしている脱毛とか。マッチングアプリの広告も嫌だった。ところが最近、広告が完全に女性向け(と思われる)ものにシフトしている。「彼氏に褒められた!」と言ってシルエットが綺麗に見える服を宣伝するやつとか、シミ取りのクリーム(?)とか。僕の見ている動画の傾向からこのユーザは女性だと判定されているのだろう。

この話、いろんなところでネタにしてしまっている。笑ってもらえる。この話をして違和感がない程度には、僕は "趣味が女性っぽい男" と見られているということかもしれない。自分はというと、自分のことを "男性だ" と確信した覚えもない。宇多田ヒカルがノンバイナリーだと明かした時(だったと思う、)に「私は自分を女性だと確信したことはないけど結婚して子育てしている。こういう女性は多いのではないか」みたいなツイートを見たことがあって、これはその言葉を借りているだけなのだが。現実のところ男性として生きているし、小学生の頃はできるだけ自分を男性に近づけようとしてきた。ボールをうまく投げられなかったり内股で歩いたりするのを見て「女みたい」と言われたり、「こっちなの?」(オカマを表すポーズをされて)と言われたりした。これじゃいけないんだと思って意識してガニ股で歩くようにしたりするうちに形成されたのが今の自分だ。ここ一年くらいは、周囲の影響もあってわりと男性的に生きている気もする(しょうもないことだけど、男性の絵文字 🙆‍♂️ を使ったりする、みたいな)。結局のところ、周りに影響されている。だから、YouTubeに女性だと思われていることを話のネタにしているのかもしれない。でもこの前、みんなが開けられなかったネジを開けた時に「男の子だね」と言われるのは嫌だった。YouTubeの広告が女性向けになったのは嫌じゃない。

この前バイトの面接に行った。女性が多い職種なのだが、面接で「女性が多い職場ですが問題ないですか。女性と話すことや女性と働くことに」と訊かれた。それが嫌だ、という男性がいるから聞いているのは分かるけど、ちょっと嫌だったな。

総括すると、最近の僕は、自分では自分をわりと男性だと思っているが、他人からは女性だと思われるよりも(その人が思うような)男性だと思われるほうが嫌なのだろう。女性だと思ってきたのは人ではなくYouTubeだけど。自分は女性と話すのが苦手な男性じゃないし、力が強いことを誇りにしている男性でもない。

恋の歌口ずさんで

このクサい記事に登場する "ノンケ男性" が普通にゲイで、色々あったけど付き合いはしなかった話。僕はたぶんバイセクシャル

mp3mp3.hatenablog.com

彼は「みんなと仲良くできるけど特定の人とすごく近づくこともない」タイプで、僕とも仲良くしてくれていた。いろいろ言葉を交わすなかでサラッと僕を落とそうとしているかのような甘いセリフを言ってきたり、普段のよそ行きなのとは違う表情を見せてくれるようになったりもして、そうこうしてる間に完全に好きになってしまった。この頃の僕はすでに狂ってたと思うけど。

次第に仲が深まって、よく二人でちょっと散歩したりするようになった。彼とは話すことがめちゃくちゃあるわけではなく、黙ってる時間もあったけど、なんか心地よい、そんな感じだった。LINEのやりとりも毎日のようにするようになり、何だかんだ週3くらいで会うようになっていた。彼は飲み会で結婚願望を尋ねられると「たぶん結婚はしない」と答えていた。また、この頃になると部屋で僕に寄りかかって触れてくるようになった。

彼の部屋に遊びに行って泊めてもらった日、とうとうめちゃくちゃキスしてしまった。彼は僕の頭を撫でてくれたし、はだける服を直してくれて優しかった。次の日謝った。帰り際好きだと言ってみたら「ありがとう」と言われた。ありがとうと君に言われるとなんだかせつない さようならの後も解けぬ魔法 淡くほろ苦い The flavor of life

 

その後連絡を取る頻度が少し下がったけど特に関係は変わらず。そうこうしてる間に、彼のことが好きだという女友達の恋バナを聞いてしまう。彼女に「いつからなの?」と尋ねると、半年前くらいからお互い好きな感じで、周りに協力してもらったりしながらご飯に行ったりしているのだと。ここで完全に僕は狂ってしまい、彼に「おめでとう」と言ってしまう。彼は何のことか分からないとのことだった。ああやってしまった、と、この頃の僕はかなり情緒不安定になっていたと思う。

しばらくして、彼は改めてこのことを話すチャンスをくれたので少し話した。彼は彼女からの好意には薄々勘付いているがそこまでだとは思っていないようだった(はっきりこう言っていたわけではないが)。そして、彼がゲイだとちゃんと確認したのに。彼は僕に「嫌いなわけじゃ全くないけど、僕からの好意をどうすれば良いかわからなかった」と伝えてくれた。そして「付き合ってみてもいいんじゃない?」と。急にそう言われると僕のほうが分からなくなっちゃったけど、とにかく何か変わるわけじゃないと思うけど、それならそういうことで、と話してその日は解散した。

その後、彼は僕に対して明確に気まずそうにしていて、どんどん関係はぎこちなくなってしまった。それで、その辺りを聞いてみると付き合うとなると気まずくなっちゃった、とのこと。彼は僕にそんなに感情を持っていない感じもするので(それが良いんだけど)、「それなら、無理に引きとめて付き合うつもりもない」と伝えると彼はそうしよう、と。僕たちはやっぱ「恋人」じゃないのかなー、と思うようにしている。

彼は僕以上に恋愛っ気のない人だ。僕だって恋愛が憎いよ!

彼と僕の似ているところの一つは先延ばし癖で、自分の感情とか、「付き合うかどうか」とか、そういうのも一旦保留してしまいがち。とりあえず今は、僕自身の感情を大事にしていきたいなと思っている。

 

プレイリストの共有

最近僕と仲良くしてくれている友達との話。以前、彼と自分を含めた何人かでカラオケに行った。彼は自分の歌いたい歌を歌ってストレス発散するのではなく、"カラオケ用のレパートリー" をたくさんもっており、その場にあった選曲をすることを大切にするタイプだった。僕はというと流行りの音楽に疎くて(というと逆張りオタクみたいで嫌だけど、そういうことではなく、と保険をかけてしまう)、そういう歌い方はできないのでいつも困る。
彼は「カラオケは一番その人のパーソナリティが見えるから面白い」というようなことを言っていた。よく聞く音楽から人の内側が漏れ出てくるのはそうだと思う。彼のようなタイプもまた、「場をわきまえる」という人格が出ているのか?それとも、彼はカラオケでパーソナリティがバレることに自覚的であるから、自分のパーソナリティを隠しているのだろうか、などと考えた。
僕が歌ったうちの一曲が宇多田ヒカルの「Play A Love Song」だった。そんなに有名でもないけど、サントリーのCMソングだから「知ってる!」と言ってもらえることもあるし、音域的に歌いやすいのでカラオケでたまに歌ってみる曲だ。彼はこの曲を知らなかったが、帰ってからまた聴いてみたそうだ。(こうやって他の人が歌った曲を聴いてみることからレパートリーが増えてくんだろうなーと思う)そしてこの曲を気に入ってくれたそうで、何回か「Play A Love Song聴いてる」と伝えてくれた。気を遣って言ってるのかもしれないし、どこまで気に入ってるのかは分からないけれど(かなり再生しているのは本当にそうみたい)、そう伝えてもらえるのは嬉しかった。
後日、彼とよく聴く音楽とかの話をしていた時に彼は最近西野カナがマイブームなのだと言っていた。何周も回ってキテるんだと。それで、彼が聴いている西野カナのプレイリストと、僕の宇多田ヒカルプレイリストを送り合うことになった。彼は僕が好きだという宇多田ヒカルに興味があるんだとも以前から言ってくれていた。

僕は確かに宇多田ヒカルがかなり好きだけど、基本的に全曲「好きな曲」ではあって、救いを求めるような気持ちで(?)聴いている節があるので、おすすめするための厳選したプレイリストを作るのは難しいなーと思った。自分用のプレイリストはいくらでも作ることができるけど。というわけで苦しみながら2時間くらいあるApple Musicプレイリストを用意した。これ長すぎるな、と思ったところで、彼は何かのサブスクリプションに登録しているわけではなくてふつうのYouTubeで音楽を聴いていることを思い出した。YouTubeYouTube Musicではない)なら母数が少ないから助かる、ということで、宇多田ヒカル公式にあるMVやライブ映像などを入れた10数曲のプレイリストを用意して送った。彼も10数曲の公式ライブ映像が入った西野カナYouTubeプレイリストを送ってくれた。

それで最近ぼちぼち西野カナを聴いてみている。まずは歌上手いな〜と思った。その上で、自分には西野カナの「西野カナらしい」歌はちょっとしんどいなとも思った。なぜかは上手く言語化できないんだけれど。西野カナのラブソングの中でも “明確に相手が分からない” あるいは “両思いではない" ような歌が自分にはまだ合っていると感じる。彼が送ってくれた中だと「Go For It !!」とか。

話が飛ぶが、昨日高校の友達と2時間くらい散歩しながら色々喋って、よく聴く音楽の話になった。彼女は最近尾崎豊にハマってるらしい。僕は尾崎豊にハマってたことはないけど、ライブ映像とかをみるとすごく惹かれるものがあり、聴き始めたらハマるんだろうな〜という気はする。そして僕が宇多田ヒカルが好きなことを伝えると(当時から好きだったけど、あえてそんなに言ってなかったと思う)、彼女は宇多田ヒカルを僕が尾崎豊に持っているような気持ちでたまに聴いていることが分かった。それでまたプレイリスト送り合おうねーという話になった。彼女にもここまで書いてきたような話をしてみたら、僕は西野カナより尾崎豊なんじゃないかと言われた。それは自分でも思う。彼女と僕はたぶんその辺の感性が似ていて、それを昨日再確認した。彼女も最近の曲にいまいちハマれないらしい。散歩も好きだし。また飲んで散歩しに行こうという話になり、また仲良くできたらなと思う。もちろん西野カナプレイリストの彼とも。

僕の言葉の裏に他意などないよ

「First Love」との距離 〜「40代はいろいろ♫」アーカイヴ公開・音源リリース

1月19日、宇多田ヒカル40歳の誕生日に開催された生配信「40代はいろいろ♫」のアーカイヴ(公式の表記に従ってみる)がYouTubeで公開され、また「40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios-」という名前で3曲の歌唱パフォーマンスのうち「First Love」と「Rule (君に夢中)」の音源が配信リリースされた。

3曲目、Bad Bunnyのカヴァーで「Me Porto Bonito」は残念ながら著作権でリリースできず。ただ、YouTubeのアーカイヴでは音声無しの映像は見ることができる。スペイン語でノってるヒカルさんのサイレント映像、なかなかシュールで良い。

 

「40代はいろいろ♫」は前半のトークパートと後半の歌唱パートで構成されたが、前半は当日回線のトラブルもあった。zoomを通じてゲストの吉高由里子佐藤健が登場したのだが、吉高由里子側の回線が不安定だった。スタッフが焦る中落ち着いて対応するヒカルさんが見られてよかったのだが、そういうシーンもカットせずにアーカイヴしてくれて感謝。

 

今回のリリースで特筆したいのは、1曲目「First Love」の歌唱。Netflixドラマ「First Love 初恋」と共にリバイバルヒット中とあり、「いろいろ♫」で選曲されることは想像していたが、当日のパフォーマンスが良い意味で「気の抜けた」ものだったのが印象深い。これまで「First Love」のライヴパフォーマンスは幾度となく行われてきたが、この前のはそれらと比べてすごく肩の力が抜けていた。この曲の前回のライヴパフォーマンスは2022年春のCoachellaだったが、その時の緊張感ある歌唱(もよかった!)とは全く違い、まるで他のアーティストが「First Love」をカヴァーしているような雰囲気さえあった。キーも2つ下げて、バンドのアレンジも原曲にとらわれないラフなものだった。ちょうど、1月20日のRina Sawayamaによる熱の入った「First Love」カヴァーが公式からアップされたのを見ていたのもあり。

それとは対照的に3曲目「Me Porto Bonito」カヴァーはギラつきまくっていて笑、ラップパートもかなり前のめりだった。2曲目「Rule (君に夢中)」はイタリア語・英語・日本語に跨った曲の原案をそのまま歌うという試みだった。こちらもアレンジは原曲とかなり違ったが、原曲よりしっくり来たな。(最初1音を聴いた時は「PINK BLOOD」が始まったかと思った)

「First Love」とは距離をとりつつ、2, 3曲目から「今の宇多田ヒカル」の凄みを感じさせる歌唱。ここからの40代は一体どこまで行くんだ、という期待とともに、改めてすごい人だなぁと思いました。

そして、「40代はいろいろ」専用ECサイトがオープンして、オリジナルスウェットの販売もスタートした。いつ着るんだと思いつつ、結局買ってしまいそう。

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「花束を君に」と「真夏の通り雨」にみる演歌の文法

2016年、およそ6年間の人間活動を経た宇多田ヒカルの復帰作である「花束を君に」と「真夏の通り雨」。宇多田の母親を思わせるこの2曲は、とても「演歌的」な歌だ、と思っている。

 

そう思ったのは、それぞれタイトルを歌ってサビを締めくくるからだ。

「涙色の花束を君に〜♪」「降り止まぬ真夏の通り雨〜♪」

というところ、

「あなたと越えたい天城越え〜♪」みたいな、藤圭子で言うなら「夜が冷たい新宿の女〜♪」「六畳一間の面影平野〜♪」みたいな演歌のそれじゃないだろうか。

 

そもそも、この2曲はタイトルが日本語で、歌詞にも一切英語が出てこないという宇多田ヒカルにしては異色の作品である。それが、日本語での表現に徹底的に拘ったアルバム「Fantôme」に繋がっていく。

そんな「Fantôme」にも、わずかに日本語以外が出てくる箇所がある。一曲目の「道」のリフレインでは “You are every song” と歌う。まさにこの通り、藤圭子宇多田ヒカルの歌そのものと不可分な存在なのである。

 

そして、その母親の喪失を経た復帰作である「花束を君に/真夏の通り雨」は、母親が歌ってきた演歌に近い構造をとる。宇多田ヒカルはこれらの作品を通して、藤圭子、その凄みと真正面から対峙しようとしているのではないだろうか。(僕も藤圭子の歌のごく一部しか知らないけど

Rina Sawayama "Hold The Girl Tour" @ Zepp Osaka Bayside

1月18日、リナサワヤマ・Hold The Girl Tour大阪公演@Zepp Osaka Baysideに行ってきた。特にまとまったレポートは残せないけれど、ちょっとだけ書いておこうと思う。

ノンストップで進んでいくので本当にあっという間で(実際75分と短めではあったんだけれど)、気づいたら終わってたようでもあり、でも濃かったな〜とも思う。

何よりまずは歌が上手い!(こんな感想失礼だが)そしてダンスもずっと踊っててすごかった。

ステージ上はずっと風が吹いていて、髪をなびかせるリナが格好良かった。MCでは思っていた以上に日本語を喋ってくれた。「このあともめっちゃかむのでよろしくお願いします!」とお茶目だったけれど言葉は一つ一つとても力強かった。

そして、アルバム Hold The Girl 以外の曲もしっかりやってくれたのも嬉しかった。(もちろん、To Be Alive とかも聴きたかったけど!!)それまでのツアーではやっていなかった Chosen Family 、Cherry を日本で歌ってくれたのは嬉しい。Chosen Family は前日(初日)の名古屋ではやらなかったようなので、何か感じるところがあって2日目から急遽やってくれたのだろうか。

3日目の東京では宇多田ヒカル「First Love」のカバーもやったらしくて聴けた人羨ましい!いや、僕も邦楽のカバーやってくれないかなと少し期待していて、やるとしたら椎名林檎宇多田ヒカルか?と思っていたので本当に宇多田ヒカルやってくれたというだけでもありがたいんですが。

 

特に記憶に残っているところと言えば、やはり中間の Send My Love To John, Chosen Family, Forgiveness, Cherry の流れだろうか。

私の音楽のモットーは「ありのままの自分を受け入れる」ということ。でもそんな私たちを受け入れてくれない人もいる。時にはそれが家族や信用してる人、政府、社会だったりもする。でも、この世界にはそのままのあなたを愛して、受け入れてくれる人がいる。だから諦めずに、自分を貫いて生きていこう。(要約)

というMCの後、携帯のライトをかざして会場が一体となった Send My Love To John。生で聴くのが本当に楽しみだった歌。シンプルな歌い回しが沁みた。曲の最後のアレンジも素敵だったな。

そのあとで「LGBTQコミュニティーに捧げた曲」だと紹介して Chosen Family を歌唱、Forgivenessと続いた。

そして「LGBTQ+の人いる〜? ちょっとみんな踊ろうよ」と Cherry に突入した。

Coachellaとかでやっていた、イントロがアレンジされていてキーが一つ低いバーション。Cherry もやってくれたらいいのになー、流石にないかなー、と思ってたので本当に嬉しかった。イントロは Plastic Love 的な日本のシティーポップ風?で(Coachellaでは背景に「東映」のオープニングをもじったビデオを流していたので、日本的な意図はあると思う)、Aメロからスタート。途中の「no ID, no ID」パートを一緒に歌うのは結構夢だったのでできて嬉しかった。

そして、この曲のライティングがめちゃくちゃレインボーで、最後のサビではリナはレインボーフラッグを掲げて歌っていた。レインボーフラッグを振りかざす観客も何人かいた。

Send My Love To John や Chosen Family の後に Cherry を持ってきて、一番普通の日常に近いこの歌で会場をレインボーにしてくれるのが良いな、と思った。救われたというか。もともと好きだったけれど、さらに自分にとって特別な歌になりました。

 

本編最後は XS 。途中の合いの手を入れるのが結構むずかしかっったけど笑、盛り上がった。そしてアンコール的に This Hell をやって終わった。最後がこの2曲なのも、浮世離れしてなくて救われた。(うまく言えないけど)

本当、冒頭のMC通り癒されて帰りました。

 

とにかく、ライブハウスで見られたのはラッキーだったな、と思った。(これまでの単独公演で一番大きい会場だという東京も衣装替えとかでかいセットとかあってみたかったな〜と思ったけど。)

次のツアーも行きます!!こんどはでっかいバンドも連れてきてほしいな。

ハグとかいらないから!

ここへきて普通にノンケ男性に恋してしまっている。("ノンケ" ではないと信じるからこそ思いを断ち切れないわけだけど、同性愛者だと知って交わったとかいうわけではないという意味でこう呼称させていただく)

自分の性的指向はむしろ男性の方に向いていると思うことも多いのだが、思い返せば小学生の時の初恋の相手は女性だったし、今まで男性を本気で好きになったことはなかった。元カノはいても元カレはいない。男性は性的対象としてしか見ることができず、オカズはもっぱらゲイ向けのものにお世話になってきた。とうとう、そんな僕が男性に恋愛対象として思いを募らせる時がやってきた。

 

これを書き留めようと思ったのは、実はいまいち分かってなかった宇多田ヒカルの「ともだち」に共感できるようになったのに気付いたからだ。

「ともだち」は、もはや宇多田を語る上で欠かせない存在になった小袋成彬宇多田ヒカルの初めての共作であり、ヒカルさん自身が「同性愛者の、同性愛者ではない方へ秘めた思いの歌」だと公言している。これはクィアリスナーの間でも大きな話題になり、最早伝説となった?このリプライも生んだわけだ。

@ayuclone · Sep 23, 2016 : @utadahikaru Don't you think singing about a gay person falling for their straight friend is a bit of a stereotype of gay people?

@utadahikaru Replying to @ayuclone : What makes you think I'm "straight"? 😛

僕自身は今まで「同性愛者ではない方へ秘めた思い」を抱えたことがなかったので、本気で(同性愛ソングとして)この歌に向き合ってこなかったのだけれど、ここに来て、今更ながら真正面から共感して聴いている。

例えば2番の「キスしたい ハグとかいらないから」とか、普通のラブソングと比べるとちょっと不思議な歌詞じゃないだろうか。Addicted To Youには「キスより抱きしめて」という歌詞が出てくるが、「ともだち」これの真逆を歌っている。

でも、ノンケへの恋を歌っていると思えば納得である。いや、僕だって「罪なノンケ男に抱きつかれる」という "あるある" は嫌ほど経験してきたが、別にそこに恋愛感情はないので、ありがたく抱きつき返したりしてやり過ごしてきた。だから、この歌詞に対しても「ハグしてもらえたらそれでいい」的な考えを持っていた。でも、恋愛感情を抱いている男からのハグは違う。ずっと忘れられず、その記憶に苦しめられている。まさに「キスしたい ハグとかいらないから」だ。

本来、性別に関係ない話なのかもしれないが、異性愛が標準である限り、これは「同性愛者ではない方へ秘めた思い」に特有だといえるだろう。

 

そして、「友達にはなれないな なぜならば触りたくて仕方ないから」「友達にはなれないな もう君の1番じゃなきゃ意味がないから」である。まさにこれで、もう友達にはなれないことを突きつけられる日々。

ああ、ちょっと前までノンケに告白するなんてありえない!と思っていたのに。

初恋 First Love

11月24日、いよいよNetflixオリジナル「First Love 初恋」が配信される。12月9日には宇多田ヒカルのシングル「First Love 初恋」発売も控えている。

もし宇多田ヒカルに関係がなければ絶対に見ないであろう作品だが、予告編を見て高まってきている。

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「First Love」から「初恋」に至る20年を、この2曲を通してドラマ化するアイデアはすごく良いなと思う。最初に宇多田ヒカルSTAFFのツイートでこの作品が作られることを知った時は「なんやそれ?」と思ってしまったが。仮タイトルかと思った。

そして宇多田ヒカル本人はLaughter in the Dark Tour 2018にて「First Love」→「初恋」を続けて披露するというプログラムをすでにやってのけている。デビューアルバムのタイトルトラックにして誰もが知る代表曲の「First Love」の次にそのタイトルをもじった新作を持ってくるという構成は中々なものだが、「初恋」の凄みはそのプレッシャーを見事にはねのけていた。最後のサビの前の長いブレイクの緊張感には息を呑んだ。

そしてこれを経た2022年になって、「First Love 初恋」というタイトルで「First Love」ジャケ写の未発表写真を冠したアナログシングルが発売される。

スタッフも本人も完全に「First Loveリバイバル」の雰囲気になっている。側から見てると宇多田ヒカルもとうとうしょうもない商品出すベテラン歌手になってしまったか…とも取れるような。でもよく考えると「BADモード」の発売からまだ一年も経っていない(去年の今頃にちょうどこのシンプルすぎるアルバムティザー動画が公開された)。まだまだ「BADモード」モードが抜けていないところに「First Love」懐古ムードがやって来るというバランスはちょうど良いのかもな、と思った。

そして今は、宇多田ヒカルのライブツアーの発表に期待している。来るデビュー日&誕生日には何か発表されるだろうと踏んでいるのだがいかに。

そして、今度ライブがある時にはぜひもう「初恋」→「First Love」をやってほしいなと思っている。ネトフリの「First Love 初恋」、ひいては大名曲「First Love」に大いに乗っかっていきましょう。

「First Love」も「初恋」もコードはG Majorだが、「First Love」は最後A♭ Majorに転調する。そのため「First Love」→「初恋」を自然に繋げるにはどちらかのキーを調整する必要があり、ラフダクのときは「First Love」のキーが一つ下げられた。もちろん「キーが高すぎるなら下げてもいいよ/歌は変わらない強さ持ってる」の通りなんだが、やはり「First Love」は原キーへのこだわりも自分の中であって。なので4月のCoachellaで原キーが聞けたのは嬉しかった。

そして、「初恋」→「First Love」の順番にすればキーを変えなくとも繋がるので、やはりこのセトリ待ってます。

宇多田ヒカルの英語・日本語

宇多田ヒカルの8thアルバム「BADモード」。自ら「初のバイリンガルアルバム」だというこの作品に関するインタビュー等での発言のうち、特に印象に残り、腑に落ちたのがこれだった。

This is also the first time you’ve had Japanese and English versions of multiple songs on one album. 

I stopped placing restrictions on myself. Why not have both English songs and Japanese songs in one album?  I live and breathe in both languages, and looking back, it feels weird that I thought I had to separate those sides of myself.

Hikaru Utada Interview: ‘BAD Mode’ & Finding A Better Sense of Self – Billboard

ここ以外でも話されていて、初出は2021年5月2日のインスタライブだったと記憶している。

うただ・ひかるさん自身は日本語と英語のバイリンガルでありながら、これまで日本語と英語での創作をかなり切り離して活動してきた。1997年に初めて作ったソロアルバム「Precious」は英語だったが、1998年には宇多田ヒカル名義での日本での活動がスタート。その間、Utada名義で2枚の英語アルバムもリリースした。宇多田とUtadaの活動を交互にこなす形になったのは、もちろん契約の問題といってしまえばそこまでなのだろうが。

2010年、宇多田とUtadaが融合する、という形で日本語と英語の壁が取り払われる出来事があった。Utadaのツアー「In The Flesh」では、宇多田の曲も日本語で歌い、「Passion」と「Sanctuary」に至ってはそれぞれの日英の歌詞を混ぜて歌った。

この後、宇多田ヒカルは「人間活動」期間に入っていく。

そして人間活動が明けた2016年の6thアルバム「Fantôme」。このアルバムは日本語での表現に拘って制作されている。

—今回の作詞からは日本語を重視しているという印象を受けます。実際、英語と仏語のフレーズがありますがそれもごく僅かですし。これは最初から決めていたプランだったのですか?

宇多田:いま思い出しましたけど、そう言えば1年半くらい前から「次のアルバムは日本語で歌うことがテーマ」と話していましたね。日本語の“唄”を歌いたかったんです。「真夏の通り雨」も始めから日本語だけの歌詞にしたかったし、日本語で歌う意義や“唄”を追求したかった。いまの自分の感覚だと、英語を使うことが“逃げ”に感じられて。あくまで自分の話ですけど、私の場合、歌詞に英語を用いる時は日本語ほど重要ではない言葉選びとか、シラブルの数が合うからとか、言いたいことを意図があって英語で言い直すとか、そんな感じだったんですね。まあ『First Love』の時はあの時なりに重要な使い方をしたりもしていたんですが。でも今回はそういうやり方だと「100パーの本気じゃない!」みたく思えて。だから本当に必要な言葉だけを並べて、しかもそれが自然と染み入るような日本語であって、尚美しいと思ってもらえる歌詞を目指したかったんです。

「日本語の“唄”を歌いたかった」 - Real Sound|リアルサウンド

インタビューでは、英語を使うことが"逃げ"に感じられるとまで言っている。また「First Love」における英語の扱いに関しては、あの時はあの時なりに重要な使い方としてみたり…と語っているが、「BADモード」の言語感覚はその延長線上にあるのではないだろうかとも今思う。

2022年4月17日に出演したCoachellaでは、「Simple and Clean」「Face My Fears (English Version)」と日本語の「First Love」「Automatic」が並べて歌われた。これは2010年にUtadaのツアーでやってたのと同じことだ。これをフェスの舞台(しかも初めての!)でやってのけるのが現在の宇多田ヒカルなのだ。

長い活動を経て、日本語と英語でレコード会社も名義も違うという契約のしがらみからも解放され、とうとう「BADモード」というタイトルが体現している通りの「日本語と英語の間に設けていた壁を取り払う」フェーズに到達した宇多田ヒカルの音楽を受け取れるこの上なき幸せを噛み締めております。

 

Distanceを抱きしめる

最近、大変今更ながら宇多田ヒカルの2ndアルバム「Distance」が自分の中で流行っている。もちろん今までも幾度となく聴いてきたアルバムなんだけど、最近になって電車に乗ってなんとなくイヤホンをした時とっさに選ぶ「今聴きたい宇多田ヒカル」に選ぶようになったな、という感じ。

そもそも、今年は年初から「BADモード」を聴きまくってきた。6月だったかに「Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022」が配信リリースされた直後2週間くらいはそれしか聴いてなかった。そんなこんなしているうちに、アルバム「BADモード」が自分の中で「たった今の作品」から遠のきつつあり、徐々に他の曲も聴くようになってきている。

自分の中で「BADモード」モードが薄まっていることを実感したのは、肌寒くなった日の午後にふと「Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー」を聴いたとき。リリースされたあの頃はまだ寒くて「この夏合流したいね」という歌詞に希望を込めて聴いていたわけだが、もう季節が一周するんだな〜と気が早いながら思った。

 

そして「Distance」。そもそも、このアルバム自体「BADモード」と近い部分も多いと思っている。前作のタイトル「初恋」は1stアルバム「First Love」と韻を踏んでいる流れで、「BADモード」収録曲の「誰にも言わない」は「Can You Keep A Secret?」を、「君に夢中」は「Addicted To You」を、それぞれ意識したタイトルだと考えられる。他者との関係を歌うラブソングから内省的な歌詞へというアルバム全体を見たときの流れも似ている。

「Distance」頻出の単語の一つが「傷」。「癒せない傷なんてない」(Wait & See 〜リスク〜)、「傷つけさせてよ直してみせるよ」(For You) 等、どれも印象的。特に「タイム・リミット」の終盤に突如出てくる「傷つき易いままオトナになったっていいじゃないか」が大好き。

今オトナになった宇多田ヒカルが「傷つけられても自分のせいにしちゃう癖カッコ悪いからヤメ」(PINK BLOOD) と歌ってくれるのは本当にありがたい。

そして、そのヒカルさんが辿り着いた境地はFind Loveの 'I know it's somewhere in me, I'm just tryna find love' に代表されるように、「自分」そのもの。ああー、いつになったら辿り着けるのやら。

 

宇多田チームのデザイナー誰?

ここ5年くらい、宇多田ヒカル周りの(主にwebコンテンツの)デザインがあまり良くないなーという話。

最近出たものだと、2021年11月に8thアルバム「BADモード」のティザーとして出されたこの動画とかも素人感が強い。元の素材は素晴らしいので、変に字幕を入れたりしないでくれたら良い仕上がりになるのだが…。

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「BADモード」フィジカルのフラゲ日はこの動画(パッケージ開封動画)が出た。これも例によって素人編集なのだが、それは良いとして、「BADモード」の特に初回盤のデザインもけっこう野暮ったくないか?と思っている。

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初回盤はこの動画の通りでかい箱の中に色々入っている。あえて「手作り感」を演出するデザインになっていて、ロンドンのヒカルさんからのお届けもの、しかと受け取りました、という暖かさを感じる商品。中の字は全部手書きなのとかもいいんだけれど、それにしてももうちょっと洗練させられなかったのかという気持ちもあり。印字のフォントにも相変わらずこだわりなさそうだし…。それに、通常盤の歌詞カードで「キレイな人(Find Love)」の後半が丸ごと抜け落ちるというハプニングもありましたよね。(文句垂れておきながら、記念にと思って交換してないんですが)

何より、発売日のインスタライブで初めて初回盤の商品を手に取ったヒカルさんが「あれ?」みたいな反応をしていたのが気になる。デザインチームは当初のイメージを十分に実現できていないんじゃないだろうか。

 

そして、問題はホームページですよ。宇多田ヒカルのホームページではイベントごとに特設サイトが設けられており、トップページの下の方にある「GALLERY」のリンクから過去の特設サイトが見られる。最新の特設サイト「Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios」はちゃんとしていて、解説当時安堵した覚えがある。凝ってるんだけど、凝りすぎてなくて「かっこいいな〜」と思える程度。

しかし、その一つ前の「Hikaru Utada Playlist Library - Celebrate 22 Years with 22 Songs」はもう最悪。せっかくの素晴らしいコンテンツが意味不明なデザインのせいで台無しになっている。本当は何回も見返したい内容なのだが、これでは見る気にならない…。なぜ。

そして、「大空から抱きしめて」から始まった歌詞特設サイトもひどい。見るだけで腹立たしいデザインなので開く気が起きない…。しかし、歌詞特設サイトは「誰にも言わない」を最後に開設されなくなっているので、とうとう内部でも「こりゃあかん」という話になったのかもしれない。アクセス数も全然なかったのでは…?

アルバム「初恋」の特設サイトもなかなかだ。目がチカチカするし、縦書きの「座談会」も読みにくいし(内容も相まって…)。

ただ、アルバムの特設サイトについても「BADモード」については改善されていた。これまでの歌詞サイトで続けてきた「ツイートを拾う」という試みは続けつつ、目もチカチカしないし読みやすいシンプルなデザインになっている。発売までのカウントダウンもワクワクしたし。

 

というわけで、現状としてはHPのデザインに希望が見えてきたが今度はYouTubeがちょっと怪しいな、という感じだ。本当にデザインは simple & clean に限ると思うので、どうかHPチームの皆さんはこの調子でお願いいたします。

ナニコレ

突如、宇多田ヒカルSpotify限定コンテンツが配信された。「Somewhere Near marseilles ーマルセイユ辺りー」のパフォーマンスビデオだ。八景島シーパラダイスで撮影されている。

Spotifyのページには "Spotify Japan5周年プロジェクト"Go Stream"のために撮り下ろされた宇多田ヒカルのビデオ・シングル。" との説明がある。アーティストの映像コンテンツを配信するプロジェクトのようで、今日ヒカルさん同時に公開されたのは星野源Mrs. GREEN APPLE

 

映像の監督は児玉裕一さん。クラブ水族館コンセプトが誰のアイデアなのかは分からないが、まさしく「色とりどりの生物の舞」でとても良い。大勢のダンサー(?)の中で妖麗なステップを踏みながら歌うヒカル様がとても輝いている。

 

これ、どうやって撮ったんだろう。ボーカルも含めた一発撮りなのか?ボーカルは別撮りというのもあり得るな。

とりあえず途中の座ってるシーンがセクシー過ぎないか?

まだ一回しか観てないんですが、ゆっくり賞味いたします。

「私もそうだった」

僕はずっと「自分のことをみんなに話す」のが苦手だ。自分の弱みを見せるのもだし、嬉しさを素直に表現することにも苦手意識がある。些細なことを聞かれて、意味もなく少し嘘をついてしまったりすることが未だにある。(例えば、友達から「昨日飯行ってたけど女の子何人いたの?」と聞かれて、瞬発的に何故か少し違う人数を答えてしまった、みたいな)

この癖は良くないなと感じている。「自分を大きく見せようとしている」わけでは決してない(と思っている)のだけれど、あらゆる面での「自分の実態」を誰からも完全に把握されないように努めている節がある。YouTubeで何を見ているのか、みたいな質問にもあんまりちゃんと答えないし。

なんでこんな人に育ってしまったのだろうと考えることが時々ある。一つの大きな要因はセクシャリティという大きな秘密を抱えてきたからかな、と思っている。小中高と隠しながら(完全に隠れてたとも思わないけど)成長してきたので、人格形成「自分を隠して生きる」ことになってしまった感じはする。今となっては誰にも言わない訳ではないんだけど、基本的にクローゼットである以上変わらない部分は大きい。

 

こんなことを久しぶりに思ったのは、電車で宇多田ヒカルの「B & C」を聴いていたから。

バカにする人たちはきっと

ただ淋しいだけ

私もそうだった

電車で宇多田ヒカルを聴いてると(以前、移動中は音楽をできるだけ聴かないなどと豪語していたわたしだが、最近は宇多田ヒカルに頼りっぱなし)普段そこまで気に留めていなかった歌詞が突然光って見えることが偶にある。先日は「B & C」2番のこの歌詞でその現象に見舞われた。

以前からいい歌詞だな〜とは思ってたんだけれど、「私もそうだった」と言える関係が純粋に羨ましいなと思ってしまった。「B & C」はボニー&クライドになぞらえて相手への愛情を素直に歌っている歌詞だが、あまりに真っ直ぐで、僕もこの真っ直ぐさが欲しいな、と。

この曲の後半には「約束はしないで 未来に保証は無い方がいい」という非常に宇多田ヒカル的な歌詞も出てくるが、その前提にあるのはこの素直さなのだと痛感する。

 

いま僕が求めているのは何か、と考えると「自分の、みんなが知らない部分」を誰かに愛されることといえると思っている。それも「友達」ではない人に。その「誰か」とは恋人であり、自分でもあるのかな、とも思ったり。(この部分のBGM:「キレイな人 (Find Love)」

うーん、ちょっと宇多田ヒカルに毒されすぎてるかもしれないので考えるのは一旦この辺でやめておこう。