宇多田ヒカルの英語・日本語

宇多田ヒカルの8thアルバム「BADモード」。自ら「初のバイリンガルアルバム」だというこの作品に関するインタビュー等での発言のうち、特に印象に残り、腑に落ちたのがこれだった。

This is also the first time you’ve had Japanese and English versions of multiple songs on one album. 

I stopped placing restrictions on myself. Why not have both English songs and Japanese songs in one album?  I live and breathe in both languages, and looking back, it feels weird that I thought I had to separate those sides of myself.

Hikaru Utada Interview: ‘BAD Mode’ & Finding A Better Sense of Self – Billboard

ここ以外でも話されていて、初出は2021年5月2日のインスタライブだったと記憶している。

うただ・ひかるさん自身は日本語と英語のバイリンガルでありながら、これまで日本語と英語での創作をかなり切り離して活動してきた。1997年に初めて作ったソロアルバム「Precious」は英語だったが、1998年には宇多田ヒカル名義での日本での活動がスタート。その間、Utada名義で2枚の英語アルバムもリリースした。宇多田とUtadaの活動を交互にこなす形になったのは、もちろん契約の問題といってしまえばそこまでなのだろうが。

2010年、宇多田とUtadaが融合する、という形で日本語と英語の壁が取り払われる出来事があった。Utadaのツアー「In The Flesh」では、宇多田の曲も日本語で歌い、「Passion」と「Sanctuary」に至ってはそれぞれの日英の歌詞を混ぜて歌った。

この後、宇多田ヒカルは「人間活動」期間に入っていく。

そして人間活動が明けた2016年の6thアルバム「Fantôme」。このアルバムは日本語での表現に拘って制作されている。

—今回の作詞からは日本語を重視しているという印象を受けます。実際、英語と仏語のフレーズがありますがそれもごく僅かですし。これは最初から決めていたプランだったのですか?

宇多田:いま思い出しましたけど、そう言えば1年半くらい前から「次のアルバムは日本語で歌うことがテーマ」と話していましたね。日本語の“唄”を歌いたかったんです。「真夏の通り雨」も始めから日本語だけの歌詞にしたかったし、日本語で歌う意義や“唄”を追求したかった。いまの自分の感覚だと、英語を使うことが“逃げ”に感じられて。あくまで自分の話ですけど、私の場合、歌詞に英語を用いる時は日本語ほど重要ではない言葉選びとか、シラブルの数が合うからとか、言いたいことを意図があって英語で言い直すとか、そんな感じだったんですね。まあ『First Love』の時はあの時なりに重要な使い方をしたりもしていたんですが。でも今回はそういうやり方だと「100パーの本気じゃない!」みたく思えて。だから本当に必要な言葉だけを並べて、しかもそれが自然と染み入るような日本語であって、尚美しいと思ってもらえる歌詞を目指したかったんです。

「日本語の“唄”を歌いたかった」 - Real Sound|リアルサウンド

インタビューでは、英語を使うことが"逃げ"に感じられるとまで言っている。また「First Love」における英語の扱いに関しては、あの時はあの時なりに重要な使い方としてみたり…と語っているが、「BADモード」の言語感覚はその延長線上にあるのではないだろうかとも今思う。

2022年4月17日に出演したCoachellaでは、「Simple and Clean」「Face My Fears (English Version)」と日本語の「First Love」「Automatic」が並べて歌われた。これは2010年にUtadaのツアーでやってたのと同じことだ。これをフェスの舞台(しかも初めての!)でやってのけるのが現在の宇多田ヒカルなのだ。

長い活動を経て、日本語と英語でレコード会社も名義も違うという契約のしがらみからも解放され、とうとう「BADモード」というタイトルが体現している通りの「日本語と英語の間に設けていた壁を取り払う」フェーズに到達した宇多田ヒカルの音楽を受け取れるこの上なき幸せを噛み締めております。