絶好調でもBADモードでも

NHK「ライブ・エール」見た。宇多田ヒカルはスタジオ事前収録映像で「BADモード」を歌唱。

「we can roll one up」も「ネトフリ」も「ウーバーイーツ」もちゃんと歌って、字幕も出た。最後の「Hope I don't fuck it up」だけは流石に字幕なしだったけど、その分噛み締めて歌ってるような感じがしてよかったな。

衣装が奇抜でびっくりしたけれど脚長効果なんてなんのそのという感じで、着こなしていて凄かった。「BADモード」のMVに出てくる衣装と雰囲気が近かったので、同じスタイリストさんの用意したものなんだろうか。

歌唱は、一言一言を丁寧に歌い上げていくパフォーマンスが最高だった。宇多田ヒカルのライブ歌唱の繊細さは年々増していると思う。少しでもバランスが崩れたら成り立たない感じというか、儚げな感じというか。今夜の歌唱はとても優しかった。

 

歌唱の前に短いインタビュー映像も流れたが、そこで語っていた言葉がまた印象的だった。

自分がつらいときにこういうふうに言ってくれる人がいたらいいなっていう思いが、主に結果としては歌詞になっていると思います。私が周りのすごく大切な人や愛している人にこうしてあげたいって、相手がつらかったらこうしてあげたいな、っていう気持ちを具体的に考えていったらこういう歌になりました。

誰でもしんどい時期ってあるじゃないですか。そういうときに周りの負担になりたくないから、家族でさえ、もしくすごく親しい友人にさえそういう気持ちを話せない。
気を遣っちゃって、私が調子悪いだけなのに周りにそれを広めちゃうみたいな。

でも、大切な人を亡くしている、いろんな状況でっていう経験を踏まえると、その気持ちもすごく分かるけど、私だったら大事な人がそういうふうに思っているなら言ってほしいなって思うんですね。

人に頼るってことはいいことだと思うんですよね。

本当に自立した人間であるっていうことは、いろんなところに、いろんな人にちょっとずつ頼るみたいなことが本当は「依存の逆の定義」なんじゃないかなって思って。だからこう、誰の周りにも、本当は、もうちょっと頼ってほしいなって思ってる人がいるんじゃないかなぁと思って。

その人物のイメージの歌ですね。

曲名の「BADモード」のBADは「バッド入る」のバッドと同じだ。「バッド入ったわ〜」とかって、自分の調子が悪いことを周りに知らせるために使われる言葉。僕は宇多田ヒカルの「BADモード」を知る前、こういう言葉に嫌なイメージを持っていた。なんで自分がちょっと落ちてることを周りにアピールするんだろう、僕はしないのにな、というふうに。僕は人に頼ったり自分のことを開示したりするのが苦手なので、それが上手い人に対する嫉妬みたいなものもあったかもしれない。

そんな中「BADモード」が世に出て、ああ優しい歌だと感じた。「絶好調でもBADモードでも 好き度変わらない」という包容力の大きさに救われた気がした。それで今日のライブ・エールでの歌唱を見て、ああ自分もBADモードだったらBADモードだってみんなに言っちゃっても良いんだな、と思えたかも。