私がいるよ

いつも優しくていい子な君が

調子悪そうにしているなんて

いったいどうしてだ、神様

そりゃないぜ

-宇多田ヒカル「BADモード」

宇多田ヒカル「BADモード」の歌い出し。「いったいどうしてだ、神様 そりゃないぜ」というフレーズは強烈で、ティザー動画みたいなので初めて聞いた時はこの人また上手い歌詞書いてる…と思ったものだ。そして、前半の2番の終わりでは「二度とあんな思いはしないと/祈るしかないか」と歌の前半が締め括られる。

まさに"神頼み"の状況、そんな時に、とにかく寄り添ってくれるのがこの曲の優しさだ。とりあえずメールも無視しちゃって、ネトフリでも見てウーバーで何か頼もうよ、と。

そして、後半では「今よりもいい状況を想像できない日も/私がいるよ」、"Won't you lean on me when you need something to lean on" と、ただ側にいるだけでなく言葉にして伝えてくれる。

lean on から連想したのが、「サングラス」の最後の方に出てくる英詞 "I need some body that I can rely on" 。BADモードが頼られる側視点なのに対して、サングラスは頼れる人を探している歌だ。今は涙のあとをサングラスで隠して強がってるpretenderだけれど、いつか本当に頼れる人とめぐり逢うはずだ、と。

どこかに通じ合う人がいて
差し伸べるその手が空いてるうちにきっと見つけ出す
密かに許し合う約束を交わしたはずの誰かが私にもいる
今日めぐり逢う

-宇多田ヒカル「サングラス」

そして、「サングラス」にも神様が出てくる。

神様ひとりぼっち?

だから教える

-宇多田ヒカル「サングラス」

この一節は本当にすごいなと思っている。神様のことをこんな風に捉えようと普通思わないもんな。

そして、私たちは神様みたいに「ひとりぼっち」ではない。隣の人がBADモードだからって、ただ救ってあげることなんてできない。もうそれは神様に祈るしかないのであって、いま私ができるのはとにかく隣にいてあげることなんだろう。

先日のジェーン・スー氏との対談でヒカルさんはこう語っている。

親や周りにいる人が子どもにしてあげられる一番大事なことって、ある程度の大人になるまでは根拠がなくていいから、安心感とか自己肯定感を持たせることだと思うんです。自己肯定感は、なんでも「いいよいいよ、最高」って言うことじゃなくて、子どもが何かの理由で悲しいと思っていたら、大人からしたらたいした理由じゃなくても、「悲しいよね」ってその都度認めてあげること。そういうところから自己肯定感って芽生えてくると思うんですね。自分がこの気持ちであることはオッケーなんだって。

「自分を愛するってどうしたらいいの?」──宇多田ヒカルの思考を辿るインタビュー、全文公開。 | Vogue Japan

「自己肯定感を高めてあげる」、最近よく聞くけれど、BADモードの優しさはまさにこれの体現だろう。