また逢う日まで、トキメキだけShareしよう

宇多田ヒカルの新曲「Gold 〜また逢う日まで〜」を聴いている。前半バラードなのに後半で豹変するという作りで、一見すると頭でっかちな曲のようでもあるが、実はそうじゃなくてシンプルな曲で、お腹いっぱいになることなく何回でもリピートできる。テレビでのパフォーマンスをみたりリピートしまくったりしたことでだんだん歌詞が頭に入ってきたので、歌詞から感じたことを書き留めておこうと思う。

まずは1番。

追いかけても追いつけぬ
幸せは側で待ってるだけ

楽しいことばかりじゃないけど
嫌なことなんて
いつかまた思い出話する日の
花になる迄

No, no, 知らないよ
あなたのように輝けるもの
No, no, 飾りにも
誰のものにもならない Gold

歌い始めでいきなり「幸せ」についての持論が語られる。そして、あなたこそが「Gold」なのだ、と訴える。ここがタイトルの片割れ「Gold」の初出、そして「また逢う日まで」が出てくるのは2番の最後になる。

何処かで流れる BGM
あれ以来聴いてなかった曲

遠ざかっていく景色から
目を離せない
別れの言葉じゃなく、独り言
また逢う日まで

2番は1番と比べてより「独り言」的な歌詞で、その最後に「また逢う日まで」と呟いた瞬間音楽が動き始め、徐々にビートが表出、ラップ調のCメロ(?)の登場へと繋がっていく。

いつか起きるかもしれない悲劇を
捕まえて言う「おととい来やがれ」
楽しい予定をいっぱい入れるの
涙はお預け また逢う日まで

なんか、この「また逢う日まで」というのは、すごく呪文のようだな〜と思った。音楽を動かす魔法の言葉であり、自分自身やあなたに「言い聞かせている」言葉でもあるというか。幸せは側で待ってるだけ、と分かっていながら、楽しい予定ばっかり入れるなんて一見矛盾するようだ。でも、その裏には「また逢う日まで、涙はお預け」というおまじないがある。これは空虚な口約束じゃない。

そもそも、この曲で語られる「幸せ」について、宇多田ヒカルが「幸せ」を歌った歌詞といえば「日曜の朝」の「幸せとか不幸だとか/基本的に間違ったコンセプト/お祝いだ、お葬式だ/ゆっくり過ごす日曜の朝だ」だろう。これを読んでると「涙はお預け」でいいのか?と思うけど、ここで重要なのは「楽しい予定=幸せ」「悲劇=不幸」じゃないということだ。楽しい予定をいっぱい入れながら過ごす日々、その側で幸せは待ってる、のである。

TWICEも言ってる、「トキメキだけShareしよう/悲しみはLet it go」と。(この前、3日間くらい、なんか疲れすぎてTWICEのHare Hareしか聴く気分になれなかった時があった。)

幸せといえばで今思い出した話:中学の時、なんかの記念講演?みたいなので、体育館に集められて講師の話を聞かされた日があった。その人はかつて大工をやってたけど今は会社の社長か何かになって幸せを掴んだのだという。その苦労話を聞かされるのだがとにかく陳腐な話ばかりだった。講演が終わった後、自分の教室に帰った時、担任の先生が話していたことを良く覚えている。「自分は大工の家に育って、家庭が複雑で苦労してきたけど、それは不幸じゃなかった」と怒りをぶつけるように話してくれ、それに当時の僕は救われた。そうやって子どもと対等になって考えてくれる先生っていい先生だよなー。

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