関ジャム宇多田特集を見た。

サラッと見ただけなので逃してる部分もあると思うんですが。初めてちゃんとこの番組を見た。

佐藤千亜妃さんの宇多田愛が特に強めだったな〜と思って、ご本人のTwitterを覗いてみると「宇多田ヒカルさん研究者として学者的なイメージで服をコーディネートしました!」との一文が!確かに、まさに宇多田研究者みたいな立ち回りをしておられた。

「宇多田の歌詞は自分が何となく思っていたことを言語化してくれる」という話でParodyの「自分の靴しか履けない それで歩けるんだからいい」をさらっと引用してきたりして宇多田ヲタぶりを発揮していた。

オーサムシティクラブのPORINさんは、小森さんへの質問がグッジョブだった。歌詞が完成してない状態で歌録りに臨んで、2パターン録って比べてることがあるなんて!例えばKiss & Cryの「娘さんのリストカット or お兄ちゃんのインターネット」とかはそうなのかな。ずっとLaughter in the Dark Tour 2018でリスカverのバックコーラスが用意されているのは新録なのか?でも声質は昔っぽいけどな…と思っていたんだけれど、もしかしたら当時2パターン録っていたということも有り得るのかも。(適当なこと言ってます)

バックコーラスといえば、放送ではSAKURAドロップス & Lettersのカラオケ音源も流れた。確かにどちらも作り込まれたコーラスが綺麗だけれど、こんなものまで紹介するのか、と驚いた。最近の曲もカラオケを聴きたいなぁと思う。

Yanatakeさんも宇多田愛が物凄い人なのはは知ってるんだけど、やたらノンバイナリーと結びつけてくるのにはちょっとモヤっとした人がいたのではないかと思う。自分も含め。言いたいことは何となく分かるので、もう少し時間があれば丁寧に説明して欲しかったなと。あと宇多田がノンバイナリーなんだったら歌詞はこうやって読もう、というのは違うと思う。

最後にPORINさんが、「プロのミュージシャンになった今、他の音楽を聴く時も勉強しなきゃ、何か吸収しなくちゃと考えてしまうが、宇多田さんは今でも一リスナーとして聴ける唯一のアーティストだ」みたいなことを言っておられたのが印象に残っている。これにはすごく納得した(僕はプロのミュージシャンでは全くないけれど)。ヒカルさんは以前「時代や社会に向かって歌ったことはない。つねに部屋でひとりヘッドホンをつけてる【誰か】に向けて歌っている」と語った(@SONGS2018年)が、宇多田リスナーとしての自分はこの【誰か】の1人だという意識がずっとあるなとこの時気づいた。PORINさんも似た感覚を持っておられるんだなと思って、そのコメントが腑に落ちた。