森山直太朗「虹」の歌詞解釈

以前、中学校の卒業式で扱われていてパッと見では意味がわからんなと思ったので、どんな歌詞なのか考えてみたやつ。

 

広がる空に 僕は今 思い馳せ

→直太朗が彼自身の学生時代に想いを馳せていくのだと想像する。


肌の温もりと 汚れたスニーカー ただ雲は流れ

→というのが、学生時代の他愛もない毎日を表すキーワード。話の舞台はここから学生時代になるのだ。

 

煌めく日々に 君はまた 指を立て

→"君"はおそらく男友達。指を立てるというのは分からないが、キラキラした学園生活を毛嫌いしていたということ?


波のさざめきと うらぶれた言葉 遠い空を探した

→陳腐な(うらぶれた)言葉で、波のようにはかない夢を語り合っていた。

 

喜びと悲しみの間に 束の間という時があり

→よろこびもかなしみもあれば、どちらでもない退屈な時間もあった。あるいは、学校生活全体が"束の間という時"に例えられているのかも。


色のない世界 不確かな物を壊れないように隠し持ってる

→管理された学校社会(=色のない世界)の中で、外に出れば壊れてしまいそうな、不確かな自分を持っていた。

 

僕らの出会いを 誰かが別れと呼んだ
雨上がりの坂道
僕らの別れを 誰かが出会いと呼んだ

→サビは卒業式当日のこと。直太朗さんが卒業された成城学園の周りには坂が多い。


時は過ぎいつか 知らない街で 君のことを想っている

→視点は一度現在に戻る。離れ離れになった"君"(友達)のことを想う。

 

風になった日々の空白を 空々しい歌に乗せて

→また卒業式の話。過ぎ去ってゆく学校生活(=日々の空白 =束の間という時?)を、卒業ソング(=空々しい歌)に乗せて歌う。


未来を目指した旅人は笑う アスファルトに芽吹くヒナゲシのように

→卒業生たち(旅人)はつい先ほどまで卒業ソングを歌って泣いていたのに、もう笑っているたくましさ。

 

僕らの喜びを 誰かが悲しみと呼んだ
風に揺れるブランコ
僕らの悲しみを 誰かが喜びと呼んだ

→"ブランコ"は校庭を表すキーワード。


明日へと続く不安気な空に 色鮮やかな虹が架かっている

→卒業式当日は雨上がり。その不安定な空模様に、卒業生たちの気持ちを重ねる。

 

僕らの出会いを 誰かが別れと呼んでも
徒に時は流れていった 君と僕に光を残して

→卒業式(=僕らの出会いを 誰かが別れと呼んでも)からずいぶんと時間が経った今の気持ち。いつかまた、きっと君にあえる。